一般部では、毎回来ている方々や中高生達は、少しずつでも、日に日に積み重ねて変化をしています。
今日、中高生達に話したのはたまに稽古に来て満足するだけでは何も変わらないよ、という話をしました。
1ヶ月に一回、2ヶ月に一回、稽古に来るのは何の為なのか?
色々な事情や環境で、たまにしか来れない、またそれでも続けていく意味を本人が見出だしている。
それなら意味もあり理解も出来ます。
来れない状況でもたまにでも来て、本人に意味のある物であればそれは素晴らしいです。
稽古は本来、毎日毎日、自らも試行錯誤をしながら年間を通して行う物です。
趣味や健康管理の為に行う方や、御仕事がありながらも好きで通われている、大人の皆さんは今まで通りで全然問題ありません。(細く長く続けるのもまた素晴らしいです)
しかし若い中高生達に聞くと「強くなりたい」と皆が話します。
じゃあ何の為に、一体何に強くなりたいの? とよく皆に聞きます。
「喧嘩に強くなりたい」「自分を変えたい」「自信を付けたい」と話す中高生の男の子達が殆どです。
「試合に勝ちたい」と答えるのは、少年部から長年空手を続けて来た生徒達に多いですが、そのレベルに来た生徒達は大抵、喧嘩等は既に興味すらないくらいに強くなっています。
「試合に勝ちたい」それも素晴らしい目標だと思います。
「喧嘩に強くなりたい?」「自分を変えたい?」本気でそんな風に考えている人間は毎日、24時間強くなる事をひたすら考えています。
道場稽古なら週に4回、5回は当たり前に通います。
中高生達が月に一度、たまに稽古に来たくらいでは簡単には何も変わらないし、礼節であったり、自分自身と真剣に向き合う事すらも出来ないです。
極真空手の道場に、ただ在籍していれば強くなれる物ではないんです。
本気で変わりたいなら沢山、努力をするしかないんです。
自分は幼少期からとにかく強くなりたくて仕方がなかったです。
隠れて稽古したり、走り込みに行ったり、様々な事をしていました。
小学生高学年の頃には毎日、鉄アレイで筋トレを繰り返したり、中学2年生の頃には、丸々1年間を毎日のダンベルでの筋トレ以外にも、腕立て伏せを1000回、腹筋は500回ずつを本当に毎日続けていました。(ノルマを全てこなさないと、気分的にも一日が終わらなかった)
勉強は苦手で嫌いだったので一切しなかったですが、毎日体は鍛えました。
中学3年生の頃には先輩の紹介で時々、鳶職の現場で働きながらアルバイトもしました。
16才からは現場仕事で就職を繰り返しました。(全て意図的に力仕事ばかりを好んで選んでいました)
中卒ではありますし、自分が生きてきた在り方に後悔や反省も沢山ありますが、人間関係や苦労や、気遣いに関しての経験等は、勉学を遥かに上回る価値があったと自分は思います。
勉強が出来たり、知識ばかりがあっても人間的に薄っぺらくては、空手にしても何にしても、多くの生徒達や、また違うジャンルや仕事にしても多くの人々には何も伝わらない部分は確実にあると自分は感じます。
勿論、勉学は大切ですし、努力したり出来るべきだとも思います。
ただ、人間の人生はそれだけでもないと感じています。
何にしても、一つの事を一生懸命にとことん突き詰める。
自分は常にそうありたいですし、毎日弱い自分を変えたいし、強くなりたくて必死に生きています。
「強くなりたい」
単純ではなく簡単ではないです。
信じてひたすら続けるしかないんです。
中高生の若い生徒達には そういう大切な部分を教えてあげたいなと思います。
仮に空手が本人に向かなくて、違う物へ方向転換したり、別の趣味に走るのも良いとは思います。
ただ、そこに至るまでに何かに対して必死にやったり長年、一つの事を続けた事があるのかなと、今の若い中高生達には常に感じています。
欲しい物は何でも簡単には手に入らないのではないでしょうか。
稽古後そんな事を考えていました。
自分自身もまだまだ何も足りない。
本も沢山読みたいし、稽古もずっと続けていきたいですし、味わい深い人間になりたいです。
若くいようと、イキイキと過ごしていたら心身も老けないと信じています。
■第46回全日本大会の早割の第2期チケット予約販売の〆切は10月16日(木)までとなります。