19:00~21:00自主トレ。(サンドバック、中ミットで追い込み稽古、打たせ稽古(腹と太股)ウエイトトレーニング、体幹トレーニング、ジャンピングスクワットまで)
多少、気乗りしなかったが、始まれば全力で稽古を終えた。
今やらなかったら、来週再来週は更にキツくなっていく。
稽古とはそういう物だから。
そうかといって、そんな長い期間を自分自身が稽古をやらなくなる期間もないのだが。
出来る環境にある。
自分にとっては、仕事場で趣味も生き甲斐も、ストレス発散も満たされてしまう事が出来る。
それは本当に幸せな事。
木曜日夜の山田先生の一般部クラスには、坂本元輝君、雨宮伶空君が来ていました。
山田先生に色々と揉まれていました。
長年、積み重ねてきた彼らだから耐えられる部分もあり、また今後の彼らにとっても確かな意味と彼らの経験にも繋がります。
きちんと稽古に来る彼らは、やはり立派だなと感じていました。
昨日は星野悠久君達が頑張っていましたが、今日は雨宮伶空君達が稽古に来ていた。
一日一日、積み重ねた者にしか得られない物があり、そう思うとやはり稽古をした者勝ち。
自分も若い時期は、とにかく焦っていた…稽古に行けなかったりは、苦しくて仕方が無かった。
十代の頃は中学1年生の頃から、鍛えない日が本当に無かった。
中学1年生から続いた多感な時期も毎日、体だけは、とにかくひたすら鍛えてはいた。
二十代の時期は更に、道場へ行けない時には何かしらの稽古をした。
たまに仲間達と酒を飲みに行くと、翌日には倍の量の追い込み稽古をした。
長時間、タバコの匂いのある場に行く機会があると、スタミナが落ちたと感じてしまう強迫観念に駆られてしまい…翌日には、走り込みと厳しいダッシュ、サンドバック、ミット稽古でひたすら追い込み稽古を繰り返した。
一度付けたスタミナや、パワーが落ちるのを異常な程に神経質に嫌った。
ガソリンスタンドで働いた時には、御客さんの車へ、ガソリンを入れる際には…ひたすら息を止めるか、顔を背けたりしたが…長い時間だと耐えられなくなり、吸い込んでしまう…。(身体に悪影響と考えて2ヶ月で辞めたが、ある意味キツい仕事だった)
防水屋も、ハウスクリーニングの仕事も、空手のスタミナをベースに、身体への悪影響を考えて…そのパターンで辞めたかと思う。
建具の仕事、鳶職、水道屋、左官屋、引っ越し屋、飲食店は、本当に色々と仕事を転々とした。(数えきれず)
鳶職の他には…特に引っ越し屋の仕事は毎日、身体を鍛えられる為、とにかく朝から晩までひたすら一生懸命に働いた。
二社目となった引っ越し屋の会社では、個人の小さな会社だった為、朝6時か7時には会社に出社して、そこから多い時(特に2月、3月)には、翌朝までを、何軒も何軒も引っ越しの仕事をして働き続けた事が、約5年間はあったかと思う。
今考えてみると、色々な意味で有り得ない職場でもあったのかも知れないが、人情味のある社長と、親しみのある数人の先輩達が好きで、色々と御世話になったし、今も凄く感謝していたりもする。(多感な時期の無断欠勤を許してくれたりもした)
夜の空手の稽古のクラス時間に合わせて、早めに上がれる現場に向かわせてくれたりもした。
遠かったり、仕事が長引いたりで、稽古に間に合わなくなったりは、多々あったが、色々と楽しかった記憶がある。
自分が退社して数年後には、跡形もなく消えてしまった、小さな会社だったが…今も当時の社長や仲間達には会いたいと思う。(空手をやりながら、18歳から22、3歳まではその会社で働いていた)
後に、空手の稽古の時間帯を考えて…次に飲食店の仕事を選択する事となる。
朝から働いて夕方には定時に上がれる仕事を、ひたすら探しながら面接を繰り返して、仕事先を転々としていた。
○○蕎麦屋、○○○の定食屋だったり、○○○ドーナツ屋、○○○○-○○○パン屋、○○家の牛丼、○○屋の牛丼、ラーメン屋もいくつか働いたかな…確か。
全ての仕事は、空手に打ち込みながらも、空手の為に、仕事時間の融通を考えて、出来る仕事をひたすら選択してきた二十代でもあった。
色々な仕事をして感じたのは、飲食店も肉体的には本当にキツかった事や、残業は多々ある事、朝が早くて…5時に起床して、6時から厨房での肉体労働の仕事を、8年間を繰り返したりもした。(○○○○○○○○で長く働いた)
ただ、きちんと定時に上がれる事も多かった事や、冬は暖かく、夏は涼しい事もある職場が多かった事も飲食店にはあった。
朝6時から働きながら、夕方の3時か4時には仕事も終わり…帰りに昼食をしてアパートに帰宅してから少しの仮眠も出来た事。(残業時には、夕方の6時か7時までの12時間以上を働いていた為、こういう日には夜はひたすら自主トレをした)
残業以外の日の定時に仕事が終わった日には仮眠をした後、夜の空手の稽古の為に道場へ出掛けたりの生活を約10年間を繰り返した。
中学2年生の14歳の頃に親元を離れて、翌年の中学3年生の頃には、鳶職のアルバイトをしたりしていた。
それと…マンションや、建物を解体した後の現場の【ガラ】と言われる(建物を崩した後に粉砕されたコンクリートの瓦礫)の撤去作業のアルバイトもした。
粉塵を一日中、吸い込まないとならない為、あまりにも向いていないし、ストレスとなり、空手にも支障がある為に、これは本当に一日で辞めた。(日給は8~9千円だったと思う)
この仕事の際には自分だけ、マスクを三枚重ねにしていた。(最初の一枚目は水で含ませて濡らしていた)
…とにかく色々な仕事はしたが…全ては極真空手の為と、身心共に強くなる事のみを考えていた為でもあった。
実家に住んでいられて、たまにアルバイトをすれば良かったり、仮に毎日の仕事場へ、実家から通えていたり、高校や大学に通いながらも、実家にいられて自由奔放に好きな空手を続けていられる人達がいたりすると…四六時中を…本当に羨ましく感じて考えていたりもした。
自分自身は、とくに十代の頃は、家族にも多大な気苦労や迷惑を掛けてきた。
今では一年中、感謝の気持ちしかないのだが。
そんな慌ただしい日常と年数を重ねて来ながらも気付くと…今の環境と仕事をしていた。
幸せな事なのだなと思う。
それだけに…一日一日を簡単に過ごしたりはしたくない気持ちが、毎日…四六時中あったりもする。