2007年の回顧録。【三十路の…】

頃。

【2007千葉県空手道選手権大会】にて。

トーナメントの5試合を戦って、決勝戦で負けてしまったんだけど。

この当時、無差別の全日本大会、全日本ウエイト制大会、地方大会も含めて、彼ら4人全員と戦っていた。

当時、前年の全日本大会で一気に注目されていた若手の新人選手で、日本人選手の中では、実際に過去一番強かったかなと、振り返る事も出来る日本人選手の一人が原田選手。

田口支部長や、三茶の長嶺会長に見守って頂く中、決勝戦で対峙した原田選手には、上段膝蹴りで奥歯をへし折られた記憶がある。

前半で、気迫で自分のペースに飲み込んでしまおうと、大きな気合いを浴びせて突っ込み打ち合いながらも、中盤、更に不用意に彼の懐に入り込んだ末に、原田選手からの強烈なボディへのカウンターの下突きで、鳩尾を深く抉られて腹を効かされてからは、原田選手からの畳み掛ける怒涛の膝蹴りのラッシュを浴びて、終いには上段膝蹴りを貰い技有りを奪われた。

その後も、幾度も顎をカチ上げられたが、気を失う事はなく最後まで諦めずに戦い抜いた試合ではあった。

右から優勝の原田選手、準優勝は金久保、第3位は久芳選手、第4位の山本選手、敢闘賞の萩原選手。

彼ら4人の中で過去に負けたのは、この時の千葉県大会の決勝戦で戦った原田選手だけ。

山本選手とは、各大会の中で3回も戦った。

萩原選手とは【2003第11回全関東空手道選手権東大会】の準々決勝戦で。

久芳選手とは【2010茨城県空手道選手権大会】の決勝戦で。

セコンドには三茶の近藤先生と、後輩の網谷君が付いてくれた。

とにかく寒い時期で、底冷えする中での会場での試合だったと記憶している。

3試合目となった準々決勝戦では、バッティングというより、相手選手の歯が顔面に当たり、右の眉付近から流血したのを思い出した。

【ザクッ】という音が聞こえた瞬間、顔面を滴り落ちる生暖かい鮮血が流れ出たのを感じつつも意に留めないまま、そのまま更に激しく打ち合う中、主審に試合を止められて更にドクターが入り、試合を中断された。

眉付近の傷の止血をして、3試合の間を挟み【残り時間45秒】から、試合を再開した記憶がある。

50人近くがエントリーしていた、大きなトーナメントだったはず。

この当時の千葉県大会は、無差別の全日本大会、全日本ウエイト制大会、全関東大会(今でいう東日本大会)の次に位置する、権威のある大会として知られていたと思う。

大会後の帰路では、セコンドの網谷君と一緒に、近藤先輩の車で自宅最寄駅まで送って貰った。

過去の写真と何よりも、数え切れないワールド空手の山が出てきたから。

本当に懐かしい。

二十数年間分の全てのワールド空手は、今回とても捨てられなかったから全て残してある。