子供の頃から強い男に憧れ続けてきました。
物心つく頃から毎日ひたすら強くなりたかったです。
本能的にだったかと思いますし、16歳離れた兄がいますが格闘技に携わっていて強い兄に憧れました。
自分が物心つく頃には海外に住んでいた人なので 年に一度くらい会えるか会えないか、くらいだったかと思います。
たまに会うのが本当に嬉しかったですし 少林寺拳法の有段者だった兄に時々会うと色々教えて貰いました。
たまに冗談半分で、痛い技をかけられたりもしましたが 自分は嬉しかったのを覚えています。
そんな兄の影響や、当時絶大な人気だったジャッキーチェンにも異様な憧れがありました。
自分も低学年の時に少林寺拳法を始めました。
何年間か一生懸命通わせて貰いましたが、途中から極真空手の存在を知りました。
母親も知る程、当時の極真空手は「喧嘩空手」「野蛮空手」と言われていた時代でした。
今の極真空手とは明らかに異なる気配がありましたし、子供ながらに半端な物ではないのだろうなと感じました。
埼玉県西川口の極真空手の道場に通う事になりました。
稽古はとても厳粛な雰囲気で厳しく、あまり楽しかった印象はありません。
ただ血だらけの巻き藁や、サンドバッグ、ウェイトトレーニングの器具を観て「すげー…」と子供ながらに感じました。
当時の初段と、二段の先生方に指導をして頂きました。
楽しかった夏合宿やら色々な思い出があります。
稽古中に、痒くて頭を掻いたら『頭を掻くな!』と言われて頭をキツくひっぱたかれた事等も記憶に蘇ります。
子供ながらに「厳しい世界なんだ」と認識しました。
ですが まるで嫌ではなく そんな厳しい黒帯の先輩方を尊敬していました。
当時は道場の師範を「先生」と呼び、指導員の黒帯の方達を子供達も「〜先輩」と呼んでいました。
当時、駅前通りの商店街で演武会を行い、自分も少年部の中に混ざり、参加させて貰いました。
雲の上の黒帯の指導員の先輩方が様々な演武を行う姿を観て子供ながらに「この人達は凄すぎる…」と感じました。
バット折りや、アクロバティックな試し割りをみせて貰いました。
氷柱割りは行っていませんでしたが当時、そんな物を観せられたら自分なら、驚きと感激で悶絶だったと思います。
当時の黒帯の指導員の方々は、竹バットを3本重ねて、なかなか折れずに脛を血だらけにしていました。
最後まで諦めずに何度も何度も下段廻し蹴りを叩き込んでいました。
「もう充分凄いからそれ以上やめて…」と子供ながらに思いました。
そんな強い雲の上の憧れの指導員達が、全日本ウェイト制大会の重量級に数人出場されていたのを覚えています。
全員、初戦敗退か二回戦敗退でした。
自分を指導して下さった指導員の先輩は、埼玉県交流試合のチャンピオンでした。
自分にはそれだけで、十二分に凄かったですし、本当に憧れていました。
上には上がいるのだなと子供ながらに感じ、身近にいる黒帯の先輩方を尊敬していました。
そんな凄い先輩方が一生懸命やってもなかなか勝てない、甘い世界ではないのだと感じて理解していました。
道場での様子や演武を観れば、その人が本物か偽物かを子供ながらに感じます。
自分自身も気付くと、演武をしていたり、試合に出ていたり、生徒達に空手を教えているようになっていました。
好きな事を一生懸命続けていたら自然にそうなりました。
長年、自分なりにではありますが、色々な事に苦しんだ時期もありました。
今の少年部の子供達がどの様に感じているのかは解らないですが、自分は試合にしても演武にしても子供達には夢を与えたいんです。
試合では自分は本当に弱いですし、不甲斐なさばかりではありますが 自分の試合を観て子供達が何かを感じて今後の思い出にしていけたら幸いです。
演武では氷柱割りをやらせて貰う事がありますが、いつも自分は「腕が折れても氷柱を叩き割る」という気持ちで行います。
昨年夏の演武でも氷柱割りを行いましたが、前日に右の拳を稽古で骨折していました。
稽古中に明らかに折れたか、ヒビが入ったのも解りましたが、翌日には演武をやる予定でしたので叩く場所に当たらないのなら 当たり前にやるつもりでいました。
痛みはありましたが無事に成功しました。
折れた手の甲は、稽古をやりながら休まずに自然治癒させました。
未だに痛みもあり、骨が変形していますが、稽古は当たり前に何事もなく続けてきました。
いちいち痛いだの、稽古を休むだのと、かばっていたら時間が勿体なかったので自分はいつでも どんな怪我も誤魔化しながらでも稽古を続けて来ました。
良い悪いは勿論、別問題ですし、怪我は治すべき時はしっかりと治す事に専念するべきです。
ただ、自分が子供の頃に知った極真空手の凄さは今の自分の空手に対する価値観でもあります。
それが自分の極真空手ですし、憧れ続けてきた空手なんです。
今の子供達が大人になった時に「極真空手は凄かった」と思えるような物を少しでも感じて貰えたら嬉しいですし、それを伝える事が今の自分の仕事でもあると考えています。
だから 一緒に組手をする生徒達にも色々 感じて貰いたいですし、もっと極真空手を生徒達にも好きになって貰いたいんです。
それが自分が極真空手に出逢って色々感じて、長年続けてきた物です。
極真空手はそれくらい尊い物です。
写真は土曜日の昼間、一番早くに自主トレをしに来たオレンジ帯のKちゃんです。
一人の時間帯は照れて、隠れながら自分と話をしていました。(笑)
小さいながらも 気持ちの強さと空手を好きな気持ちは既に有段者のレベルです。
彼女の稽古に取り組む真面目な姿勢は本当に感動的です。
4月には、3度目となる支部内交流試合へエントリーをしています。
勝ち負けなんて どうでもいんです。
彼女が空手を好きで 必死に戦う姿を観れたら誰もが感極まります。
彼女は小さいながらに 痛みにもめげずに 試合では絶対に諦めないファイティングスピリットがあります。
昨年の試合後に『ボディ、効かされた〜』と話してくれる彼女を観て自分は涙が出そうになりました。