ゴデルジ・カパナーゼ選手1。【再戦するまで】


今から11年前。  

第22回全日本ウエイト制大会の(軽重量級)2回戦で戦ったロシア選手。

その大会では、自らが一回戦はシードで、2回戦を初戦とした。 

一回戦を勝ち上がってきたのは、事前のトーナメントを知った時点で、自分で予想をしていた通りでもあった、ロシアの【ゴデルジ・カパナヅエ】選手だった。(ロシア選手達の強さは、それまでの試合で、対戦してきて実際に、彼らの強さを肌で感じていた為) 

当時【ゴデルジ・カパナヅエ】と呼ばれていた彼は、初戦を強烈な左下突きで、相手選手の腹を抉り、日本選手の動きを止めると… 

すかさず胴回し回転蹴りを放ち、日本選手を気絶させて一本勝ちをした。(翌年の全日本大会から、来日してくる彼を【ゴデルジ・カパナーゼ】【カパナーゼ】という呼び名で、日本国内で有名になっていく)

当時のロシア選手達は【胴廻し回転蹴り】で、日本選手を次々とマットに沈めていて、その技は彼らの【トレードマーク】的な雰囲気を帯びていた。

不気味な強さと、まだまだ本気を出してもいない様子で、あっさりと涼しい表情で一回戦を終えた カパナーゼ選手。 

【…強いな】と感じて、気を引き締めて、地下の控え室へと戻った記憶がある。(大阪府立体育館にて)

その大会の前年度(2004年)に行われた第36回全日本大会。 

当時28歳だった自分は、全日本大会2日目の3回戦でロシアの強豪、ダルメン・サドブォカソフ選手と対戦した。【後の第9回全世界大会 第4位・第46回全日本大会優勝・第11回全世界大会 第3位を納めている、ロシアの強豪選手】 

ダルメン選手とは、再延長戦の【7分間】を互角に戦い抜いて、体重判定にもつれた。(金久保82・3キロ)(ダルメン・サドブォカソフ選手85・8キロ) 

10キロ以上の差が無く、試合の勝敗は試し割り判定へと委ねられた。 

…試し割りの杉板【3枚】の差で、自分が敗退をする。(18枚‐21枚) 

翌年から、試し割りの枚数にも拘り、全日本ウエイト制大会、全日本大会では常に、23枚の試し割り枚数を割る様にもなった)

23枚を割ると、試し割りの勝負にもつれた場合に殆どが、勝てる枚数でもある為、その枚数に拘り、その後は失敗もしていない。

その時の、ダルメン・サドブォカソフ選手との試合内容を評価され、翌年の2005年に行われた【第3回全世界ウエイト制大会・軽重量級】の、日本代表リザーブに選出された。 

2005年度に行われた【日本代表選考合宿】では、各階級(4階級)で、日本代表への切符が争われ、2度の選考合宿へと参加した。 

自分は【軽重量級(80キロ~90キロ)】のカテゴリーで、自らを含めて国内の8人が選ばれていた、軽重量級のリザーブ選手達の中から【1枚の代表への切符】を懸けて、選考合宿へと参加となった。 

結果…日本代表には選ばれずに、リザーブで終わる事となる。(この階級1枚の切符は、前年度の全日本ウエイト制大会の軽重量級王者の森村選手が取得)

2度の過酷な、日本代表選考合宿を経験していた自分は、確かに強さを増したと、自分自身も感じ取れた記憶があり、それを自信に、その年の全日本ウエイト制大会で、ゴデルジ・カパナーゼ選手との対戦を迎えた。  

当時19歳にして既に、ヨーロッパ選手権大会の(軽重量級)で優勝していた、ゴデルジ・カパナーゼ選手。(その大会の準決勝戦では、日本でも既に強豪選手として知られていた、後の第38回全日本大会 第4位となる、クリストフ・ハブラシカ選手を破って、ヨーロッパ選手権を優勝していた)

カパナーゼ選手との初対決は…(再延長戦5-0)で、自らが勝利を納めて舞台を降りた。 

舞台を降りると、再延長戦を終えた試合の、あまりの苦しさに、酸欠で気絶しそうになり、近くの観客席に、ふらふらと座り込んでしまった記憶がある。 

試合後、次の3回戦までに、しばらく心臓に痛みを伴う程に、苦しい消耗戦だったのを覚えている。

3回戦は、190センチの長身選手の小暮選手に(本戦3-0)で勝利を納めて翌日へと勝ち進んだ。(初戦の消耗戦を終えた後の、この試合では息も上がらず)

当時のダルメン・サドブォカソフ選手、ゴデルジ・カパナーゼ選手との試合を、8年近く前に、自らのブログで当時の心境を綴った記憶がある。

どちらの試合も、最中は厳しい試合だったが不思議と、ダルメン・サドブォカソフ選手との試合は、7分間を戦い抜いても苦しさはあまり感じなかった事を鮮明に覚えている。 

無傷で初日を終えて、全日本大会の2日目だった事で、初日よりも身体が解れて調子が上がる2日目となる為からだと思う。 

28歳という全盛期の若さも勿論あったかとは思う。

それよりも、翌年の大阪で対戦をした、ゴデルジ・カパナーゼ選手との試合は、初日の自らの初戦でもあり、緊張や、初戦での心身の固さも加わり、本当に苦しい試合になったのだと思う。 

その時には29歳の自分は、おそらく現役選手として、肉体的な強さだけであれば、そこが全盛期だったのかなとも思える。

紆余曲折を経て、それから11年… 

現在、極真空手【最強の外国人選手】と呼ばれている、ロシアの、ゴデルジ・カパナーゼ選手【第10回全世界大会 第3位・2016オールアメリカン大会 優勝】との再戦となった今大会…(第48回全日本大会)

先々月の9月25日辺りだったかと思うが、11月に迫る【第48回全日本大会】のトーナメントを知る。

初日の初戦と2回戦で当たるのは誰か…と、トーナメントにある、自らの名前を追う。 

【ゴデルジ・カパナーゼ】その名前が目に入る…

当時、戦った試合の苦しさと、それからの彼の11年間の世界各国での強さや、試合実績を考えると、一気に心身が強張るのを感じた。 

その時には気持ちの上では、直ぐに腹は括れた。

【カパナーゼと、また戦えるかも知れない…】【選手生活での大一番の勝負になる】 

そんな気持ちになり、その日は興奮で眠れなくなり…知人へ、カパナーゼ選手への想いと、今大会に懸ける意気込みを打ち明けた。 

【カパナーゼと戦えて、その試合で、もしも納得の出来る戦いが出来たら、もう現役選手を引退でも、構わないくらいの気持ちで試合に挑みたい】

そんな事を、知人へと打ち明けたかと思う。

勿論、実際に引退をしようとしていた訳ではないのかも知れないが、それくらいの【覚悟】でないと、とてもでないが、心境的にも、まともに戦える相手では無かった。 

【ロシアのスナイパー】と恐れられ、日本では、ゴデルジ・カパナーゼ選手の強さを知らないでいる、極真会館の日本選手や、関係者はいないかと思う。

いざ試合が決まれば、みんな腹を括るのかも解らないが、正直…最初からは、誰もが彼とは好んでは対戦をしたくは無いと思う。 

それくらいに激しい強さと怖さを兼ね備えた、本物の強豪外国人選手だと自分は思う。

それから…全日本大会を迎えるまでの40日間、寝ても覚めても、カパナーゼ選手の事で頭が一杯だった。

考えていない、時間帯も曜日も無かったと言い切れる。

試合が近付くにつれて、その緊張は更に増していった。 

【今のうちに楽しい事をしておこう】【映画を観に行こう】【遊んでおこう】 

そんな事ばかりを考えながら、日に日に、第48回全日本大会が、近付いて来ていた。 

稽古は徹底的に追い込み、気持ちも空手の技も充実はしていた。 

稽古で確かな何かを感じないと、不安で仕方が無かった。 

【こんな稽古で良いのか?…40歳になる自分が、30歳でもある、現在の世界のトップ選手の、カパナーゼと、まともに戦えるのだろうか…】

勿論、自らが初戦を勝ち抜かなければ、彼と対戦をする事も出来ないが、いざ、試合になれば、そんな事を考えずに、自分の実力なら、今回の初戦は、8月の茨城県大会で対戦していた相手でもあり、当たり前に勝ち進むと自信もあったが、勝負は何が起こるか解らない為、やるべき事をやり【絶対に油断と慢心をしない事】だけを考えてはいた。

9月から、カパナーゼ選手とは戦うと決めていた。 

それに向けての、次なる迷いとプレッシャーが加わる事となる。

試合に挑むにあたり、様々な不安要素が浮かび上がってきた。