ゴデルジ・カパナーゼ選手3。【極真への想いと そこに懸けた心】


初戦を終えた後、次の2回戦までに39試合を控え室で待つ。(各試合の延長戦等を含めると、時には約2時間近く間が空く試合数かと思う) 

2回戦が迫る約20試合前辺りから、徐々にアップを開始する。

【…身体も動くし、良い感じだな】調子が良い事を実感していた。 

初戦前には、観客席アリーナ裏のメディカルルームで、事前に準備をしていた怪我の診断書を提出後、いくつかの古傷へとテーピングを施して貰う。 

テーピング後も、多少のグラつきは否めないが、やらないよりは安心した。

2回戦が迫る約12、3試合前辺りだったと思う。 

再び、道着に着替えて会場へと向かう前に、体内から気迫を絞り出す様に、何度も大きな気合いを入れた。

控え室から、誰もいない通路を通りながら、アリーナへと続く階段を降りると、試合会場へと繋がる扉を開く。 

ここから先は更に【自分自身】との戦いとなる。

迫り来る試合を【赤コート】付近で待機する。

同じく2回戦へと向かう、カパナーゼ選手が、別の控え場所から(おそらく地下のサブアリーナ)から出て来ていた。

反対側の【白コート】へと向かう為、自分の近くを通り過ぎる、彼の後ろ姿が目に入るが、初戦前の様には彼を観ないようにしていた。

最大限に集中力を高める事に努めた。

7試合前…5試合前と徐々に、カパナーゼ選手との試合が迫って来ていた。

更に極限の緊張が伴う時間帯へとなる。

過去20年間以上を、一般選手権で戦って来た中でも一番…【緊張】【恐怖】を感じる試合だった。

ただ…ひたすら、自分自身を信じて戦うのだという覚悟は決して揺らぐ事は無かった。 

最初の柵を通されて、カパナーゼ選手と戦う3試合前辺りになると、別の感情が沸き上がって来た。 

【…体調不良とか言って、試合を棄権します…とか、出来る物なのかな…】ふと、頭の中を、そんな考えがよぎる自分の感情を滑稽に感じた。

逃げられる物なら逃げたかったが【俺ならやれる、俺ならやれる】【とことんやってやる】…何度も自らを鼓舞して、更にアドレナリンを高める。 

逃げ出したくなる様な感情等は、実際に試合で戦う場では、外国人選手達との試合前には、過去にも沢山あったと思う。(勿論…仮に、事前に骨が折れていても戦うに決まってはいたが)

最後の柵を通されるか、通された後かの…自らの2試合前辺りだっただろうか。 

昔の戦争に向かう日本軍とは、どんな気持ちだったのだろうか… 

逃げたくても戦うしかない…死を覚悟して、国の為に戦った日本軍の覚悟が脳裏に浮かんだ。 

【俺も、そういう時代で同じ状況なら、仕方が無かろうが、死ぬ為だけに、神風特攻隊の様に、倒すべく敵へと飛び込んで行けたのだろうか…そうなるしか無いのなら、勇気を振り絞り、突っ込めたのかな…】と本気で感じて考えていた。 

初めて、カパナーゼ選手と戦った11年前。 

舞台を上がる際には【外国人選手と戦争だ】【命のやり取りだ】と、本気で自分を鼓舞して舞台に上がった。

それ以前も、それ以降も外国人選手達と戦う際には、常にそれを考えて舞台へ上がってきた。 

ロシア人選手以外にも、ニュージーランドや、オーストラリアの外国人選手達とも戦ったが、ロシア選手達との試合は…特に命懸けの気持ちで戦って来れたと思う。

自分自身の極真空手とは、そういう物を常に理想として来た。 

それほどに尊い物として来た事、それは勿論…今も変わらない。

自らに起こるかも知れない【全て】を覚悟した上で、カパナーゼ選手と戦う、2回戦の舞台への階段を登った。

『ゼッケン97番…ゴデルジ・カパナーゼ』

『ゼッケン99番…金久保典幸』と名前を呼ばれる。

心身ともに、生きるか死ぬかという気持ちでいたが、決して萎縮する等という事は無く、心身ともに本気で充実していた。 

この瞬間には、極限の緊張も恐怖も既に通り越していた。

【全て】をぶつけるだけだった。

三度(正面・主審・御互い)に礼をしてから、込み上げてくる…内から振り絞る気迫で、大きく気合いを入れて【ゴデルジ・カパナーゼ】選手と対峙する。

彼に襲い掛かろうと、前進しようと自らの脚を踏み込む瞬間… 

針の穴を通すかのような【カウンターの前蹴り】を合わされて転倒させられた。 

…地面に転倒させられた瞬間に、無意識に直ぐに立ち上がるも、次の瞬間には、副審の笛を吹かれていた。

カパナーゼ選手の【残心】の決めポーズにより【技あり】を宣告される。 

極真会館で2016年6月から改定された【新ルール】の洗礼を浴びた瞬間だった。

…彼の前蹴りのスピードが、予想以上に速かった事と、前に出ようとする自らのタイミングが、ドンピシャリだった。

【…やってしまったか…技ありになってしまうか…これは】(この前蹴りの転倒により、技ありを宣告される)

試合が始まり、まだ数秒間の出来事だった。

彼の前蹴りは速かったが、事前にビデオでも、さんざん研究していた前蹴りで想定もしていた技ではあった。 

ただ…【熱くなる余りに、集中力を欠いた一瞬のミス…】と直ぐに理解が出来たし、それは試合後も今も繰返し、思い出される反省材料でもあった。 

【まだ…2分近くある】

そんな気持ちで再び、カパナーゼ選手に対峙する。 

次の瞬間…予想はしていたが彼の放つ、追い撃ちの【同じ前蹴り】は、見切れてカットをして耐えた。

その次の瞬間もすかさず、自分の両足を刈って転倒をさせて【残心】を決めて、技ありを取ろうとする、大振りの右の下段廻し蹴りも見えた。

明らかに【一本勝ち】で試合を終わらせようと狙っているのは感じ取れた。 

【…たったの数発で、試合を終わりにさせてたまるか】と焦る気持ちもあった。 

残りの【1分50秒間弱】で、カパナーゼ選手から【技あり】を奪い返す事は、おそらく皆無に等しかった。  

…ただ、そんな事はどうでも良かった。

死に物狂いで彼にぶつかる為、再び気合いを発して、また更に彼に突っ込んだ。 

【やれるものなら、やってみろ】【殺し合いだ】という気持ちで、一気に間合いを詰めて、彼の左脚を蹴り、下突きから上の突きへと、変化をさせた渾身の左の【鎖骨打ち】を叩き込んだ。

確かな手応えを感じると、彼の顔色が変わるのが解った。 

【この感触だ…】11年前に、彼と戦った時の記憶が甦った。

懐かしい様な、不思議な感覚だった。 

下がりながら、距離を取ろうとする彼に向かいながら【とことんやってやる】と言う気持ちで、更に大きな気合いを入れた記憶がある。

前に出ようと、更に間合いを詰める自分に対して、彼が連打で放つ、鈍器で殴られたかの様な重い衝撃を感じる【左下突き】を、自らの、右の前腕でカットをして、追撃のカギ突きも右肘でブロックをした。

次の瞬間…カパナーゼ選手の、丸太の様な【左中段廻し蹴り】が見えた。 

自分の、右の脇腹辺りに食い込んだ。

対戦相手をことごとく効かせて、時に悶絶させてきた、カパナーゼ選手の【左の中段廻し蹴り】を何度か受けたが、当たり前に耐えられた。(効かされる事は無かった) 

【突きも、ミドル(中段廻し蹴り)も半端でないな…】そんな気持ちが頭をよぎる。

まともに、みぞおちや、レバー(肝臓)に当てさせない様には気を付けた。

何もかもが、凄いスピードと強打ではあった。(彼からも、必死な気持ちが伝わってきた) 

最初の技あり(残心の決めの前蹴り)があるにしても、自分と真っ向から打ち合う【リスク】を極力避けたいのだなという事には気付いた。

彼の攻撃は全てが、確かに凄い衝撃で【突きからの繋ぎで、上段廻し蹴りでも出されたら、倒されたりする事もあるかも知れないな】と感じる瞬間もあったが。 

ただ、同時に。

【耐えられるな】【打ち合えるな】と感じて確信してもいた。

そう思いながら、これでもかと更に気合いを発しながら、カパナーゼ選手の懐に飛び込んで行った。 

自分の心身にも【骨の髄】まで…長年の【闘争本能】が染み込んでいる。

いざ試合場に上がれば、心が折れる事も、怖じ気づく事も無い。 

完全な、ファイターとなれる。

それは長年、信じ続けてきた部分でもある。

ただ、ただ、ひたすら魂をぶつけようと、本当に一心不乱だったと思うし、本当に命懸けで、カパナーゼ選手に向かっていった。 

内から溢れる、言葉にするには本当に難しい【何か】を感じた。

何度も何度も溢れる、気合いを声に発して、自らの空手を、彼にぶつけた。(打ち合いになる場面もあったが、とことん戦いたいと感じてもいた)

最後の1秒間まで、自分なりに本当に必死に攻めた。

太鼓の音がして…2分間の試合が終了した。

太鼓の音が鳴ると同時に、カパナーゼ選手が右手を伸ばし、自分の身体に触れてきてくれたのが解った。 

【終わったよ】という様な気持ちが、彼から伝わってきた。

太鼓の音と共に【…あぁ…負けてしまったな…】審判に別けられる瞬間に、そんな気持ちになった試合であったが…彼が差し出してくれた手に、親しみを感じて、温かい気持ちになっていったのを鮮明に覚えている。

本戦判定敗退となる。(前蹴りの技ありを含む0-5)

正面に礼、主審に礼をして、彼と向き合い礼をした… 

次の瞬間…優しい笑顔を見せながら、彼が近寄ってきて、自分を抱き締めてくれた。  

その瞬間に、自分自身も心が穏やかになっていくのを感じ取れて、彼を抱き締め返して彼の気持ちに応えた。

【…あんな風に優しい顔をするんだな…】と感じた瞬間だった。 

命を懸けて必死にぶつかり、試合に負けて、舞台を降りようとする時には、会場の御客さんからの拍手が聞こえてきた。 

不思議な気分だった。 

【極限の緊張と恐怖】【命懸けで試合に挑めた事】

彼に対して、自らの【魂をぶつける事は出来た事】 

ただ、試合には負けてしまった事… 

色々な気持ちの中で複雑であり、悔しいのか…気分が良いのか、命の危険も感じていた対戦相手と戦い終えて、無事に舞台を降りられた気持ちから来る解放感からなのか。 

よく解らない心境になり、赤コートを後にした。 

効かされた技も無く、無傷でもあり、心情的には…まだまだ、ガチガチに、やり合いたかった気持ちもあった。

ただ…彼の放つ技の威力や衝撃は、彼と実際に、あの場で戦わないと感じられない、幸せだと思う。

【死んでも戦い続ける気持ちと、何が何でも絶対に勝つ】という気持ちで、ぶつからないと、カパナーゼ選手には、上段廻し蹴りか、何かの技で、簡単に倒されると思うし、簡単に骨を砕かれるか、腹を抉られて悶絶させられるかという事も感じられる。

生半可な気持ちでは、あの舞台には上がれないし、上がってはいけないと自分は考えていたい。

試合から12日を過ぎた今現在も、彼の左下突きを、何度も受けた右の前腕は、未だに痛む。

試合直後には前腕には、大きなミミズ腫れが出来ていて、右の脇の下の背筋辺りには、彼の拳の跡が赤く付いていた。(この突きも、凄い衝撃だったが、急所(肝臓や、肋骨)ではないな…そこは)と感じながら戦っていた。 

生きている事を実感する事が出来た。

人が聞いたら、大袈裟に思うかも知れないが、自分の中では極真空手とは、そういう物で有りたいと常に考えて来た。

言葉にするのは難しい限りでもあるが、そう感じていたいと思っている。

試合場や稽古場では素手の拳で、顔面や喉元を撃ち抜かれようが、骨を砕かれようが、自らは気にもしない。

痛がる様子を見せている空き時間が、相手に対しても失礼に思うし、その空き時間が本当に勿体無いから。

上段への蹴り技での、意識を断たれるノックアウト(気絶)なら良い。 

その状況なら、意識も既に無い訳で仕方がない。

意識があるうちは、ひたすら戦い続ける。

極真空手とは本来、そういう物では無いのか…と、自らは考えて来たし、本気でそう思っている。

…自分が、カパナーゼ選手に対して考えて来た事。

11年前の初対決の後、世界のトップ選手へと上り詰めていった彼は【極真空手最強の外国人選手】【ロシアのスナイパー】【ロシアのハリケーン】と称され、恐れられて来た。

世界のトップ選手の実力を保っている【30歳で、全盛期のカパナーゼ選手と40歳の今の自分】

今の自分の実力を保ちながら挑める、最後となるかも知れない…今回の第48回全日本大会で、世界トップ選手でもある30歳のカパナーゼ選手が全盛期の時期に…御互いに交わえる最後の大会となるかも知れない…


本当に、それを考えて過ごしてきた40日間となった。 

彼が、輝かしい極真の栄光を築き上げる間に自分自身は気付けば…40歳になっていた。 

11年前には…彼に、自分が勝利していただけに、今の彼に対して、とにかく失礼な試合をしたくは無い気持ちが一番強かった。 

今の御互いの年齢と、現在の選手としての地位を考えた時に、本当にそれを一番に考えた。 

【今の彼に伝えられる部分は何か?】と考えた時に。 

【命懸けで対峙する】事が、彼に対する礼儀だと、本気で考えた事。 

それしか、今の自分には彼に対する【術】が無かったから。

死に物狂いで【今の自分】と【魂をぶつける】事が、彼に対しての礼儀でもあった。

試合には負けてしまったけれど、彼とは極真空手を通じて、本当に命懸けで戦えた。

そこは自信を持って言える。 

彼との試合を終えて【また子供達へ、自信を持って空手を教えられる】と感じた部分は、それらの経緯と、自分の気持ちの部分を踏まえてではあった。

…試合後の舞台裏で。 

試合に負けてしまい、茫然自失でいた自分自身の気持ちに整理をつけながら立ちすくんでいると…

白コートから、地下のサブアリーナの控え場所へと引き上げてきた、カパナーゼ選手と、また遭遇した。

彼は自分に近寄ってきて、持っていたタオルと、ペットボトルを床に置き、また両手で【握手】をしてくれた。 

自らも恐縮ながら、誠心誠意の気持ちで彼に応じた。

『明日…あなたが、チャンピオンになって欲しい…頑張って下さい』という気持ちを込めて、片言の英語で彼に気持ちを伝えた。 

『イヤー…ドゥ… アイ・ドゥ!』(やるよ)

そんな言葉を返してくれた。 

彼の優しい繊細な性格も、直ぐに見抜けたが、彼は真剣な表情で応えてくれた。

2日目…大澤佳心選手のセコンドに付いた帰り際の選手花道に…次の3回戦を控えていた、カパナーゼ選手が仁王立ちしていた。 

セコンドから引き上げる際に、彼と目が合う。 

…カパナーゼ選手も目を合わせてくれて、アイコンタクトで会釈をしてくれた。

彼の集中力を乱したら、申し訳が無いなと感じながら…すれ違い様に軽く会釈をして、アイコンタクトを彼に返した。 

それらの出来事も、嬉しかった気持ちは勿論ある。 

本心から彼に、本当に優勝して貰いたいなと思っていた。

彼との試合だからこそ、あそこまでの気迫と気合いで戦えたのかなとも思う。

あれ以上の気持ちと試合は、もしかしたら、もう出来ないかも知れない。

現在30歳のカパナーゼ選手も、これから選手を続けるのであれば、30歳から先は、年々、キツくなるはずだし、今までに負ける事は無かった様な対戦相手や、勢いのある若手のロシア選手や、世界の若手選手達にも、負けたりという事も出て来るかも知れない。 

昨年の第11回全世界大会で…3日目の、4回戦で、その世界大会で準優勝をした、ジマ・ベルコジャ選手(フランス)に敗退してしまった【イゴール・ティトゥコフ】選手(ロシア)は、昨年の31歳の段階で【もう現役選手は引退だ】と、本人から自分が聞いている。 

ダルメン・サドブォカソフ選手も、昨年の世界大会で既に31歳ではあった。

強かった選手達も、長く続けると負ける事は必ず増えてくる。 

ただ、自分みたいに長く続けて来たからこそ感じられた、彼らとの【命懸けの戦い】から得た感情や想い出は、生涯…忘れる事の無い自分自身の【財産】となっている。 

これは本当に紛れもない事実だと思う。

長い間、世界大会の舞台には自分自身は、ことごとく立つ事は出来なかった。

そこに近付き、間際に迫れた事は何度かはあったと思う。

最終的に、そこには至らなかったが、世界のトップ選手達とは、ことごとく対戦する事が出来たと自負している。 

特にロシアのトップ選手達とは本当に、ことごとく対戦が出来たと思う。 

オレグ・ルクヤネンコ選手、フセイン・エリハノフ選手、タリエル・ニコラシビリ選手、ダルメン・サドブォカソフ選手、ニコライ・ダビドフ選手、アンドレイ・チルコフ選手、キリル・コチュネフ選手、イゴール・ティトゥコフ選手、ゴデルジ・カパナーゼ選手と命懸けで戦ってきた事…自らにとっての極真空手と自分自身の【今世】での財産になったと感じている。

今回の、カパナーゼ選手との試合や、自らの極真空手での想いや経験を、文章にして記したいと考えて、今回…自身のブログで、長年の選手生活で経験して来た事実を記しておきたいと思った。

極真空手への想い…ロシアの【ゴデルジ・カパナーゼ】選手の凄さを…ブログに記して、人に知って貰いたいと…彼との試合後に、ずっと考えていた。 

その想いは殆ど…綴れたかなと思います。