第9回全世界大会 第4位のロシアの、ダルメン・サドブォカソフ選手との試合は自分の中で、思い出の試合の1つでもあります。
過去に、日本国内で 何度も強豪外国人選手と戦う機会がありました。
たまたまなのかは、分かりません。
ダルメン選手とは、第36回全日本大会、2日目の3回戦にて戦いました。
結果は再延長戦を戦い抜き、体重判定でも勝負が付かず試し割り3枚の差で自分が負けました。
全日本大会前の9月、連覇のかかった、全関東大会に出場し、残念ながら準優勝に終わりましたが、調子が良い時期でしたし 秋には それなりに やり合える自身はありましたが9月の試合が終わった直後、精神的にドン底まで追い込まれる出来事があり、悩みに悩み抜いた時期がありました。
…本当に苦しかったですが詳しくは書けません。
今の自分なら その当時よりは上手く対処が出来たのかも知れません。
大袈裟でなくこの先、生きて行く事も不安で仕方がなかった。
しかし その経験があるからこそ 今があり、精神的に苦しんだからこそ、そのあと数年してから自分の身に起こる、更に考えも付かない、アクシデントを何度も乗り越える精神力が自然に身に付いていたと思うので結果的には良かったと、今だから思えます。
そんな中 36回全日本大会の出場が決まりましたが 精神的には、試合どころではなかったのですが乗り越えるしか、ありませんでしたし出場が決まった以上はやるしかなかった。
…最後の試合にしよう…と本気で考えざるを得なかったですが とりあえず初日を勝ち残り、2日目の初戦でダルメン選手と戦う事になりました。
ロシア人との対戦は この時点では 2人目でしたから 特に怖さはなかったですし最後にしようと考えていたので、この先どうなろうと今、人生を懸けて戦おうと自然に思えました。
作戦は特にありませんでした。
距離を詰めて、打ち合いをします、と田口支部長に話したら 『あっちが最後 根負けすると思うし諦めるよ、勝てると思うよ』と試合前に言って頂いたのを覚えています。
主審の『始め!』の合図と共に過去に発した事のないような雄叫びのような気合いが自然に内側から出てきたのを記憶しています。
最初から、超MAXで自分から襲い掛かりました。
試合の最中に感じたのは とても打たれ強い相手だな、と。
後は全然、諦める気配はなかったのですが(笑) とにかく粘り強いなと思いました。
飛び後ろ廻しや、後ろ蹴りを何度もカットしましたが 印象は あちらのが良く、旗が1本、ダルメン選手に、上がりながら延長を繰り返しました。
ただ自分の右の下段廻し蹴りも何度も入り、嫌がる表情は見せていました。
とにかく胸が 分厚くて何度も何度も渾身の力で叩きましたが、叩いた感触が日本人と少し違うような印象はありました。
攻撃力に関しても日本人選手より鋭いし重かったですが、その時は効かされはしなかったです。
下段廻し蹴りも 少し痛いと思いましたが思っていたよりは軽いなと。
結局、7分間を戦い抜き、試し割り判定になりました。
それ以来 試し割りの枚数も対戦する相手とは競うようになったのと少しだけですが、得意になりました。
だいたい 今では無難に23枚を割ります。
そんな思い出の試合です。
その後 何年かしてダルメン選手と会場で会った時に、『押忍』と挨拶をしたら、喜んで会話をしてくれました。
笑いながら 人なつこそうに英語で、元気ですか?と話してくれたのを 理解出来たので、話せないのに『アイム、ファイン』と話せる風に、言って握手をしました。
ダルメン選手との試合後に第3回全世界ウエイト制大会の日本代表候補選手に選ばれました。
残念ながら1枚の代表権利は掴めなかったですが、キツイ精神状態で空手を、やりたくない中で2度の選考合宿を乗り越えたのは今思えば財産です。
色々あった中でのダルメン選手との試合でしたが思い出の試合の1つです。
押忍