ゴデルジ・カパナーゼ選手2。【全ての経緯】


11度目の出場となった無差別の全日本大会。

第48回全日本空手道選手権大会の初日を迎える。(2016/11/5) 

選手控え室から観客席アリーナの、一階席の裏を通り過ぎ、白コートの選手控え場所へと向かう。

体を冷やさない様に上着を着て時折り、シャドー、ストレッチを繰り返す。 

アップ後には、身体は常に軽く汗ばみ、心拍数を軽く上げた状態で、試合場に上がる事を心掛けている。

秋冬の試合場では、特に大切な部分となり、上手くいかずに、心身の固いままの状態で試合場に上がる事だけは避けたかった。 

冬場の寒い体育館だと、どんなにアップをしても、ひたすら動いていても、なかなか身体が温まらずに、上手くいかない事が、三十代の後半(38歳くらい)から年々、増えてきた事を感じる様になっていた事もある。 

東京体育館は極度な冷え込みも無く、むしろ心地良い常温を感じる為、アップを絶さなければ、試合時には身体は動くはずだし問題も無く感じていた。 

ロシア選手達の多くは、そんな中でも常に【ニット帽】を深く被り、更に【サンダルに靴下】を履いたまま、戦う一試合前までは脱がない。 

当然、上着も着たままでいる。

試合前日…自らも、コンビニで即席に【必要かな?】一応、ニット帽を購入してはいた。 

上着は常に羽織ったままで、アップも絶やさず試合に挑んだ。

…ニット帽を被るまでの寒さを感じなかった事と、少しの照れがあり、被らずで済ませていた。

【…外国人選手達みたいに、似合わないだろうしな】そうも考えた。

自分の髪型的には、絶対に冷える訳で、本来は、それくらいに徹底しても良いのかも知れない。

【白コート】で、一回戦が迫る頃… 

試合場の舞台へと上がる前に、選手達が控えている【赤白】の各コート。

一回戦を待つ自分と、カパナーゼ選手も同じ【白コート】が初戦となる。 

選手が控えるコート場では、試合直前の選手のみしか入れない様に柵が、二層式に設けられていた。 

試合舞台に向かう、最初の柵の囲いには、2名の選手達のみが入れるようになっていた。(この層では、この時点ではセコンドも入れない) 

更に次の、もう一つの柵を通されると【試合場舞台】へと、上がる選手のみが待機できる、待機場所と選手の花道へと繋がる。(ここには専属のセコンドも入れただろうか、覚えていない)

この部分は、赤白コートにより実際に異なり、決まりだったのかは解らない。

一回戦を迎える最初の柵前に…後ろから、自分よりも一つ前の試合に向かう、カパナーゼ選手が真横を通り過ぎた。 

本物の強豪選手としての凄まじい【オーラ】を身に纏っていた。

【…凄いな…これが今の、カパナーゼか】

極限の緊張状態の中、何度も横目で、彼を観察しながらも、カパナーゼ選手に視線がいってしまう。

最初の柵の中で、カパナーゼ選手が、ニット帽を被ったまま、こちらを向いたままの方向で椅子に座り、軽く目を閉じて瞑想をしていた。 

…当然、彼も緊張はしているはずだが、物凄く落ち着いて見えた。(彼を横目に、シャドーで身体を温める事に集中する) 

【2016/6/オールアメリカン大会】での初優勝を成し遂げていた、ゴデルジ・カパナーゼ選手。(この大会は毎年、海外の強豪選手達が集うトーナメントとなり、時には無差別の全世界大会に匹敵するレベルの高い大会として【プレ世界大会】とも称され、昔から知られてきた権威ある大会でもある)

2回戦で戦う事になるかも知れない彼を、間近で感じるのは、緊張と恐怖が伴ったが、同じ大会に挑み、同じ空間で戦える事を、物凄く幸せな事なのだなとも感じていた。 

一回戦へと挑む彼が【次の柵】を通される。 

選手は特に座らなくても良い為、座るつもりも無かったが、彼が数分間、座っていた椅子に自らも敢えて腰を降ろす。

【極真空手最強の外国人選手】と言われる、彼の温もりを感じてみたかった気持ちからだった。 

どんなに強くても、次に戦う、カパナーゼ選手を【同じ人間なんだと】感じたい気持ちが物凄くあった。

彼は自分にとって、偉大な存在であり続けた。

11年前の【初対決】では、(再延長戦5-0)で、自らが完璧に勝利を納めてはいた。 

しかし…その後の各国での、彼の激しくも【畏怖】を感じさせる圧倒的な強さに自分自身も、釘付けとなっていったのも事実だった。 

カパナーゼ選手が毎年、日本へと来日する事になる無差別の全日本大会では、彼は常に激しい強さを見せ付けながら【第44回全日本大会・準優勝】を納めてもいた。【第10回全世界大会・第3位】 【第5回全世界ウエイト制大会 重量級・準優勝】の実績もある。

【カパナーゼとは、現役の間に試合をする事は、もう一生、無くて良いな】

彼に関しては、同じ全日本大会へと度々、臨める機会があったが、そんな気持ちで毎年、過ごしてきた。(一度、勝ったままで良かったし、過去に試合をした時にも散々、効かされた、あの強烈な突き技を、もう貰いたくは無かった)

【もう戦いたくはない】【カパナーゼだけ、トーナメントで当たる場所に配置されないでいてくれ…】

無意識ながら、過去にそれは考えていた。 

自らにとって、ゴデルジ・カパナーゼ選手とはそんな選手である。

初対決した後に極真会館で、日本でも知れ渡るようになる、後の彼に対しては【尊敬】【憧れ】【畏怖】の気持ちしか無かった。

いざ、トーナメントが決まる。(第48回全日本大会)

【…人生の中で…生きている間に、カパナーゼと、二回も戦えるチャンスが来た】

この40日間、一時も忘れる事なく、不安以外にも、ひたすら考えて来た気持ちでもあった。

夏を過ぎた頃だったか…関西人である、長年の付き合いがあり、尊敬している、自分の親しい先輩から電話があり、空手の話しになった。 

『まだ(現役)やんのか?全日本出んの?(今年)』携帯から、懐かしく親しみのある大阪弁が聞こえて来た。 

『…はい、秋の全日本の切符は取れたので(8月の茨城県大会)…年々、歳をとりますし、一般選手としては年齢的にも、今の実力で戦える最後の全日本になるかも知れません』冗談半分でもあったが、無意識の中にある本心でもあったと思う。 

『また、ロシア来んのか?(全日本に出るのか)…お前はどうせ、いつもロシアと、やんのやから、もう最初から(一回戦)から【ダルメン】か【タリエル】辺りとやらせて貰え!』と、大声で豪快に笑ってくれた。

『はい、そうですね、初戦か2回戦(初日)が、ロシアなら、自分もダルメン辺りの選手と、全力で戦いたいです』と答える。 

年に何度か、先輩の豪快で懐かしい関西弁を聞くと、いつもヤル気が湧いてくる。

その先輩は、自分が以前に戦った、第42回全日本大会での、タリエル・ニコラシビリ選手【第10回全世界大会王者】との試合や、ダルメン選手の事もよく知っている。

『もう50(歳)まで、(一般選手権)で、やれや!      俺も(仕事)頑張るから、お前も、とことん、やれや!50までえ!(選手)』聞き慣れた関西弁で笑いながら言ってくれた。

一般選手権大会に出れる年齢が、50歳までと数年前に、極真会館で決められた事を話した時には、その様に、ツッコまれて笑われた記憶がある。

20年前に比べて、現在の選手達の【選手寿命】が、限り無く伸びている為、一般選手権大会への出場年齢は【50歳】までという決まりも、近年では出来ていた。 

勿論、とてもでは無いが、そこまではやれないと思うが【あと10年しか、一般で戦えないのか…】と、少し残念になる自分もいたりする。(壮年部の年齢制限の枠は何歳までかは、よく解らない) 

自らの現役選手としては、一般選手として終えられたらと考えている。

第48回全日本大会には、40歳以上に達している選手は、自分を含めて5名いたと思う。(トーナメント出場選手128人中) 

話を戻す。

【現在も明らかに世界トップクラスの実力を保っている、30歳のカパナーゼと、40歳の自分が果たして、まともに戦えるのか?】

過去の試合の中で、自分の人生の中でも、大一番の試合になると感じて、それに懸けるつもりでいた。

【まだ30歳で、全盛期の実力があるカパナーゼと、40歳の自分が今の実力で戦えるのも、御互いに交わえる最後の試合になるのではないか…】

そんな事をずっと考えていた。

それから、試合の10日くらい前からだろうか。 

【もしかしたら、カパナーゼとの試合で死ぬかも知れないな…】

そんなプレッシャーを勝手に感じてしまっていた。(20年以上を現役の選手として、実践で戦って来た中で、こんな事を感じたのも初めての事だったが、若い選手の内には逆に感じられない気持ちだなと思っていた)

【沢山の生徒達に空手を教えないといけないし、そんな事はある訳がない】と自分自身に言い聞かせて、繰り返し立て直していた。 

以上の経緯から来る、様々なプレッシャーを無意識に感じて、考えていたのだとは思う。

ただ…それぐらいに【危険な相手】でもあり、逆に腹を括れた部分と、その試合に命懸けで挑めた部分もある。

過去の試合実績と、現在の実力だけを考えただけであれば、とてもでは無いが、自分が勝てる対戦相手では無かったが【やるからには絶対に勝つ】という気持ちも湧いていた。

実際に試合では、何が起こるか解らないし、選手でいる以上は、負けると解っていても戦わないといけない事もあるという事や、だけども、やるからには必ず自分が勝つ可能性を信じた事、実際に戦う以外であると、対戦相手が当日に何かの理由で欠場する事だって試合にはある。(実際には、自分と戦う過去の全ての強豪選手達が欠場した事は無かったのだが)

【命懸けでやる】【自分らしい試合をしたい】と、本気で考えて、自らをひたすら鼓舞し続けていた。

そんな気持ちで過ごしながらも気付くと、当日を迎えて、初戦の1回戦を勝ち抜き、いよいよ、ゴデルジ・カパナーゼ選手(ロシア)との、11年ぶりの【再戦】へと挑める事となった。