極真空手とは。

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嬉しい事が沢山ありました。

少年部では長い時間を、皆で色々な種目を行い、基本稽古、補強のサーキット稽古、ミットでの激しい追い込み、フィジカル稽古、移動稽古を最後に持ってきました。

来ていた全員の、次の審査に向けた課題を説明しました。

皆一人一人が、次にやらなければいけない事をしっかりと理解していました。

『空手は、年月を重ねて何となく道場にいれば、自然に帯の色が変化をしていく物でもないので、自分自身で次の課題に向けて努力をしていかないと向上は出来ないし勿体無いよ』そんな話しもしました。

だから通う価値があり、遣り甲斐や目標も持てる。

今日来ていた皆は【課題】の意味をしっかりと理解してくれていました。

【地獄の鬼ごっこ】

あれも全て意味がありますが今日は、皆をヤル気にさせる条件を提案しました。

あんなに広い道場で稽古が出来るので、自分が東大和へ来た時に、色々やるべきと様々な稽古内容を思い立ちました。

全てはイメージを明確にしていきたい。

稽古後の【タイムリミットの、速着替えによる、道場から早く出ないと、翌日のダッシュを増やす】

皆、めちゃくちゃ 焦りながら、早々に着替えをしている様子が凄く面白かった。

『やば!…』と焦る、オレンジ帯のK君、間に合いました。(凄い焦りと素早さに面白かった)

兄弟での長靴姿も可愛らしくて良かった。

青帯のF君も道場が大好きですし、皆とも仲良しです。

黄色帯を受けるのは彼にとっての通過点であり、それに向けた努力と、必死な気持ちを忘れない事を話しました。

気を抜かずに、更にしっかりして後輩の御手本になり、また実際に強くなって貰いたいなという、自分の想いがあります。

夜の一般部、美優さんと、黄色帯のS君、白帯のS君も頑張りました。

黄色帯のS君、美優先輩には組手で、厳しく揉まれていましたが、彼の良い部分が沢山、垣間見れました。

真面目で、人にも凄く優しくて、熱い気持ちの持ち主です。

静かな生徒ですが自分は、ずっと、彼に語りかけてきましたし、彼は長年、それに答えてくれ続けました。

今日、2日目のS君も頑張りました。(基本稽古の突き技を覚えました)

これからも更に強くなれるはずなので頑張って貰いたいです。『誉められて気分が良いです!』と笑顔で帰宅する彼でしたが、かなりセンスもあり真面目です。

昨日に引き続き、美優さんのミットを持ちました。(打撃力は昨日よりも更に良かった)

この1週間で、また変わりつつあり、実際に変化をしていました。

彼女のミットを持ちながらも【凄いな…】と感じていました。)

あのパフォーマンスと、稽古体形の、全てを含めて、彼女にとっての本当に意味のある物にしてあげたいなと常に思うばかりです。

突き技にも変化を感じ、また昨日よりも更に威力が増していました。

感動の一言。

あの稽古を行う瞬間は、ミットを持たれる側は、本当に緊張もします。

自分は、同じ内容の稽古を、昔の道場で黒澤浩樹師範に行って頂く際には、本当に必死にやりました。(むしろ、あまりの緊張に更に心拍数が上がった中で、ミットを持って頂きました)

尊敬し過ぎて、凄過ぎるが故に、自分自身が萎縮もしながらも、ただひたすら、有り難かったのを覚えています。

『真っ白になれたか?』

と、言って頂いたのを覚えています。

心臓が飛び出るくらいに厳しいミット稽古を持って頂いたのを覚えています。(死に物狂いでやりながら、タイマーが鳴り、そこから数分間でしたが本当に死んだ方が楽かも…、くらいな苦しさを教えて頂いた)

あんな師範との出会いは、生きている間に何度も無いかと思います。

自分自身が黒帯になってからも、師範との組手では、これでもかと倒され続けました。

下段、中段、顔面への後ろ廻し蹴り、左の上段廻し蹴りによる意識の遮断等、数え切れない。

上段廻し蹴りで顔面を蹴られて、本当に意識が飛ぶ瞬間は「キーン…」という音とともに、実際に変な匂いが鼻から漂います。

痛いながらも、気持ちよくて、フラフラしながら 立ち上がり、『押忍、参りました…、押忍!お願いします!』と、立ち向かい、数秒後には、また同じ技の上段廻し蹴りを蹴られて意識が飛び、天井を見上げた記憶があります。(本当に意識が遮断される際には人間は痛みは感じませんし、むしろ夢見心地になります)

恐くても、逃げ出したくても、倒される現実も、有り難い気持ちしかありませんでした。

また、その時なりの壮絶な稽古を終えてからの帰り際の自転車での道のりは、まさに天国な気分でした。

【今なら誰と喧嘩しても負けないな、ようやく少し強くなれた…】(二十歳前後はアホながらにも、毎日毎秒が自分自身には、本当にそれしか頭にもなかった)…

そんなハイテンションになるような、帰り道を毎日、繰り返していました。(帰り際の道場内の自販機の赤いウィダーの缶ジュースを2本、飲みながら帰るのが本当に幸せだった)

師範に、肋を折られるのも当たり前、極真史上最強と言われた師範の下段廻し蹴りを、さんざん蹴られて、毎回の稽古で倒されるのも当たり前。

自分はあちこち蹴られ殴られて、凄まじい下段廻し蹴りを、右膝に度々貰いながら、自らの膝に水や血が溜まり、整形外科で、溜まった血を抜いて貰う事を繰り返しました。(太い注射器で血を抜くのは、それなりに痛い)

血を抜いたら、翌日からまた蹴られる、倒される、どこか怪我をする。

それを6年間繰り返しました。

それでも当時の師範を今でも本当に崇拝しています。

今すぐにでも、御会いしたい気持ちも常にあります。

本当に厳しい稽古をひたすら、指導して頂きましたが、今は感謝の気持ちしか思い浮かびません。

当時は正直…【もう先生とは会いたくないな…】と考える毎日でした。

ただ、ひたすら崇拝していたので、空手家としても本当にカッコイイなと感じていながらの毎日でしたし、師範からは実際に愛情を注いで頂きました。

感謝や尊敬の気持ちは今も全く変わりません。

かなり、話しが反れてしまいましたが、当時の厳しい稽古が、今の自分を作り上げた部分は多大にある事を常に思い出します。

お陰様で、極真空手の試合場で、相手に蹴られた下段廻し蹴りで、自らの太股を効かされて倒されたりした事は試合場では、過去には一度もありません。(第10回全世界王者のタリエル・ニコラシビリ選手に蹴られた下段廻し蹴りも確かに凄かったですし、凄い痛みでしたが、試合の中では普通に耐えられた)

当時の師範の道場での、親しい先輩方との合言葉には、『黒澤先生に蹴られていたら、試合場で、下段廻し蹴りなんかで倒されたら、恥ずかしい…』というのが当たり前でした。

毎日の稽古を続けていく為、下段廻し蹴りを効かされない為、身体を壊されない為、逃げ出さない為。

それをひたすら考えて、極真空手を続けてきた自分自身の黒澤道場での、必死な6年間ではありました。

自分は緑帯の頃に、初めて黒澤師範が参加されている選手クラスに参加させて頂いて、師範の下段廻し蹴りを生で体感しました。(…これか)と…。

半端ではありませんでしたが、その話しは別の機会にブログで綴れたらなと思います。

極真空手の無差別での第16回全日本大会での優勝を成し遂げられた師範ですが、本当に凄かった。(第5回全世界大会では第3位の記録を残されています)

当時の師範に教わった、様々な感性を自分自身の生徒達には、自分の培った長年の空手での感性を伝えたい気持ちがあります。(空手に関しては特に中高生達へ)

空手での様々な経験が今の自分です。(毎日、ただのアホな時は限り無く多々あり…)

空手に関しては、過去に色々と感じてきた部分を少しずつ皆に伝えられたらと常に考えています。

多田将太朗君や、永吉美優さんらの若手の黒帯の生徒達にも、本当に色々な事を伝えていきたいと、今日は深く考えていました。

自分自身が、常に未熟物であるが故にの毎日なので、少しでも様々な場面で色々な事を感じて、勉強出来たらと感じます。

来てくれる生徒達には、空手に関しては確実に変えていく自信が自分にもあります。