正道会館選手との試合について。【覚悟】

正道会館のトップ選手の板谷泰志 選手との一戦について綴らせて頂きたいと思います。

第32回 極真会館 全日本ウエイト制大会の軽重量級【80〜90キロ級】で自分の初戦の対戦相手としてトーナメントに組み込まれていたのが正道会館の板谷泰志 選手でした。

板谷選手は2014年の正道会館の9月の全日本大会でも準優勝をされていて、過去には正道会館の全日本ウエイト制大会の軽重量級(80キロ〜90キロ級)のカテゴリーでも連覇を重ねられていた選手です。

極真会館の第22回全日本ウエイト制大会の軽重量級において、並みいる極真の猛者達を退けて、その大会での決勝戦では、極真の木立選手によって止められ、準優勝を納めていた他流派の強豪選手でした。

他流派の選手による極真の決勝戦進出で、あわや極真の全日本クラスの【優勝】受け渡しかと危ぶまれた大会でもありました。

板谷選手は極真空手の関係者の間では、誰もが認知している正道会館のトップであり、看板選手の一人です。

今から10年前。

極真会館の第22回全日本ウエイト制大会。

板谷選手を決勝戦で止めた極真の木立選手と戦って、準々決勝戦で自分は敗れました。

延長戦での0-4でした。

結果はベスト8。

自分の初戦は、後の第10回全世界大会第3位になるロシアの強豪、ゴデルジ・カパナーゼ選手との対戦でした。

死に物狂いで戦い、再延長戦を5-0で制しました。

その後の2回戦を勝ち上がり、3回戦は日本代表の野加久詞 選手を延長戦で破り、木立選手との対戦まで辿り着いた大会でもありました。

当時の自分は29歳でした。

スタミナやパワー、肉体的な強さは、おそらく、人生で一番のピークの時期だったかも知れません。

それでも実際に戦い、極真のレジェンドでもある木立選手を崩せませんでした。(延長戦0-4敗退)

その時の大会の準優勝者が正道会館の板谷選手でした。

当時のベスト8の選手の中で、自分が一番当たりたくないと感じていた選手でもありました。

身長186センチ、体重は90キロ。

板谷選手は当時の極真の全日本ウエイト制王者や、日本代表選手達を上段膝蹴りと、左右の廻し蹴りで次々に倒して決勝戦まで勝ち上がった選手でした。

ずっと戦いたくない相手でもあり、現役の間は戦わないかなと秘かに考えていました。

今回のトーナメントを観た時に…

【もう、ロシアと正道の選手を俺に最初に当てるのを良い加減にしてくれよ…】

と呆れながらも【もうこの際、何でも良いか】と半分以上、開き直れました。

過去に2分の試合時間の間に強豪を薙ぎ倒してきた板谷選手の左右の上段膝蹴りで俺も倒されるのか…

試合前には色々な不安とプレッシャーがありました。

ただ、自分は正道会館や、ロシアのトップ選手達を実際に沢山、試合でも止めてきた。

そう考えたら、そういう意味では今回もあまり恐く無かったです。

極真の世界大会のトップに行くようなロシアのトップ選手達と、ことごとく戦ってきた経験を考えると正直、日本人に恐さは感じなかった。

【強さ、恐さ】

この部分は日本人と海外のトップ選手とはまるで異なります。

自分は過去に、大した成績を納めてはいませんので不甲斐ない限りではありますが、戦いにおいてのその部分は実際に感じています。

様々な長年の経験と思いが交差した板谷選手との初戦からの対決になりました。

自分が掲げていた今回のテーマは。

【昔のように、ひたすら前に出て仕掛ける】

【ただの玉砕ではなくても、自分から攻め続ける】

この2点に絞りました。

【玉砕】【猪突猛進】【相手の出方を観ながら攻める】

この3つはやらないと決めて挑みました。

覚悟は決めていました。

関係者の誰もが…【金久保は板谷には勝てないな…】と感じていたかも知れないですし、最初から何も期待もされていなかったかも知れません。

それくらいにネームバリューが違い過ぎてはいた。

実際に初戦で、簡単に勝たせてくれる対戦相手ではありません。

ただ【俺も極真にまだ期待される部分が多少なりともあるなら、やってやろう…】と考えていました。

事前の骨折の怪我もあり、当日はテーピングと局部麻酔をして挑みました。

試合当日も今も【ぼりぼり骨が動く様子はあります】

ただ、それは試合の勝ち負けには関係ないんです。

選手達は時に皆、何処かしらを痛めて挑むのが試合でもあります。

試合2日前に【この状態で板谷選手と初戦か…棄権したいな…】と考えていました。

気付いたら朝のアップを終えて試合会場にいました。

骨折の診断書を用意して、メディカルで他の選手達に隠れてテーピングを施して貰いました。

試合前には稀にある事でもあるので、そんなに気にはなりませんでした。

今回の怪我とは別ではありますが【死んでも仕方がない】

過去にも、この覚悟で常に空手の試合へ挑んできました。

実際に自分は過去に命を落とし掛け、一生空手は無理だとも言われた事もある中で懲りずに今に到るので、ある程度の覚悟は人よりはあるつもりです。

今大会…初戦で舞台に上がる直前に…

田口支部長が本部席から自分の所へ来て下さりました。

『死ぬ気でいけ…何も考えるな!』

その言葉で、自分も目の色が変わるのを感じました。

【死ぬ気で攻める】

覚悟を決めて舞台に上がりました。

…試合後に舞台下で、次の対戦相手を観察する自分の元に板谷選手が挨拶に来てくれました。

自分としては、偉大な選手に対して有り難い気持ちのみでした。

初日を終了後、自分が泊まっていたホテルのエレベーターに乗り一階に降りると…

扉が開き、たまたま目の前に板谷選手がいました。

『まさか、ここで会うなんて不思議ですね…』

と言われました。

自分も何を話したら良いか解らず『いま、帰りですか?』

ホテルへ今、帰って来たのかを聞いたつもりでした。

『明日までいます』と、笑顔で言われました。

自分よりも3つ年齢の若い板谷選手ですが、普段は本当に優しい清々しい方でした。

命懸けで、対する価値のある素晴らしい対戦相手と戦えた事に本当に感謝しています。

恐くても自分の拳と、長年培ってきた過去の空手を信じた結果でした。

勝てて、大きな声で吠えたい気持ちを抑えながら、舞台の階段を降りました。(少し吠えていたかも知れません)

ロシアの強豪フセイン・エリハノフ選手を破った瞬間の興奮にも似ていた。

現役の間での板谷選手との戦いも燃え盛る魂の一戦となりました。