今日は審査の見極めを行いながらも、試合が近い生徒達の稽古もみっちり行いました。
大きな行事である支部内交流試合が終わっても、次の試合を控えた生徒達もいるので、そちらもしっかり仕上げていきます。
審査の見極めでは基本、移動、型、補強を中心に行いました。
最後に話したのは審査も試合も、一度目標を決めたならそれに向かって努力をして、遊びを我慢してでも道場に稽古に来ないといけないよ、という話をしました。
試合前にサボっているとスタミナは落ちてしまう。
稽古をしていなかった焦りや不安は試合場での緊張感に拍車を掛けてしまう。
必死に稽古をして必死に戦って帰ってくると、自分自身にも堂々としていられる物です。
仮に初戦で負けても「凄い試合だった」「本当にカッコ良かった」
こんな試合が実際にある。
人にそれを感じさせるのは日頃、毎日必死に努力を積み重ねてきた人間が出せる物だと自分は感じます。
今日の少年部に来ていた5年生黄色帯のR君と、3年生黄色帯のR君。
彼らはまさにそんな試合をしてきたし、試合翌日、もしくは火曜日から当たり前に稽古に来ていた。(3年生のR君は初戦で敗れはしましたが半端な試合ではなく、自分の中では会場を一番沸かせていた試合だったし、ああいう試合は簡単には出来ない)
3年生のR君は、試合後の稽古で膝を痛めましたが、病院に行き翌日から当たり前に稽古に来ていた。(普通はしばらく休む怪我)
今日は突きで激しい組手、上半身の稽古も徹底して行いました。(出来る稽古を率先して当たり前にやりたがっていた)
彼を観ていて感じたのは、怪我は個人による物で、重症と捉えるか、軽い物と捉えるかは本人次第だという事。
子供だし、むしろ無理をせずに休んでも全然良いとは思う。
ただ、彼にとっては軽い物で稽古に来るのが当たり前なんです。
痛めた膝を庇いながらも気合い、気迫、ヤル気、凄まじい様子があり、凄く感動してしまいました。
自分自身も彼と同じ事をする。
無茶や無理は良くないが、無茶も無理も当たり前にする。
「結局 やれるか やらないか 痛いか 痛くないか 続行できるか 倒れて休むか」
これは稽古の中でも試合の場でも、本人の価値観や美意識による物が凄く大きい。
自分の感覚からすると、極真の試合中に顔面を素手で殴られ、あれよあれよと倒れ込んだり、顔面を手で押さえてみたり、痛がる様子、あげくに担架まで?…と思う事ばかり実際にあったりもする。
俺も試合中は、普通に素手で顔面を殴られているし、肘で顎を打ち抜かれても耐えるし、意識がなくなるまでは当たり前に試合を続行してるよと。(拳で顔を触られたくらいで試合は中断しないし、人間は本来、顔を触られたくらいでは簡単には倒れはしない)
「痩せ我慢、耐える」それが極真空手だと自分は思う。
今の子供達にも、そういう気持ちの強さを持った生徒達はいます。
今日来ていたR君を観ながらジンときていました。
東大和の自分の生徒達にはそういう大切な部分を教えてあげたいなと常に考えています。
今日の少年部達の組手も凄まじかった。
子供達って半端でない時が沢山あります。
夜の一般部でも全員で追い込みました。
写真一般部は2クラス目。
厳しい稽古を終えた美優さん、中城さん、S君達と入れ替わりに、竜太郎君、拳三君が稽古に混ざりました。
後は全員が2クラスを参加。
稽古後には若い生徒達に、掃除の仕方と、掃除の意味を話しました。
トイレ掃除や細かい事に気付く事、それも稽古の一貫として考えるようにと指導しました。