真渕来夢君が、久しぶりに先生方へ挨拶に来てくれていました。
一階道場にいた自分にも、挨拶に来てくれました。
現在、高校2年生になった彼と会うのは、おそらく5年ぶりくらいかと思います。
彼が4年生の頃に初めて三軒茶屋道場で出会いました。
高木信君という、ライバルと一緒に切磋琢磨していたのが思い出されます。
当時、来夢君や、信君は西東京都大会、関東大会、国際大会でも活躍中で、入賞、優勝を繰り返していました。
昨年の極真空手の一般選手権で行われた、第11回全世界大会で出場選手中、最年少にして日本代表に選ばれた、南原健太選手(城北支部)と、当時は二人共に、10回以上を試合場で戦っていました。
その殆どが、各大会の決勝戦での戦いの中で、彼らは、ことごとく負けてしまってはいましたが、鬼気迫る組手で毎回、南原選手に戦いを挑んでいました。(南原選手は、十代を含めて通算10回程を、国際大会で優勝経験の実績があったかと思います)
そんな中で来夢君は、西東京都大会の決勝戦で、南原健太選手に必死に果敢に迫り、南原選手による犯則の減点1を促し、優勝を納めた事もありました。
来夢君は確か、その前後だったかと思いますが、決勝戦では敗れはしましたが、国際大会の舞台で見事に、準優勝にも輝いた実力者です。(決勝戦はやはり南原選手)
来夢君や、信君は、同世代に、南原健太選手という最大の難関であり、宿敵がいたので、各大会では本当に、ことごとく準優勝が多かった記憶があります。
彼らも一年中、稽古をしていました。
当時の信君の稽古回数が、一月に、46クラスは当たり前という数字でした。
1日に、少年部クラスを2クラス、3クラス参加した後の夜は、一般部クラスに参加していたり。
高木信君も本当に思い出深いです。
自分を慕ってくれて、ついてきてくれました。
彼も素晴らしい逸材でした。
高木信君も度々、南原選手と戦いました。(確か各大会で11回以上を戦っていたかと思います)
信君も関東大会で、ダントツで優勝する等、本当に凄かったです。
彼もとにかく強かったのと、類い稀なる才能も持ち合わせていました。
高木信君も過去には毎年、自分の試合を観に来てくれたり、試合の前後にメールをくれたりもしました。
地方大会にも応援に来てくれていました。
第40回全日本大会の2回戦で、ロシアの強豪、イゴール・ティトゥコフ選手と再延長戦に入る前に、舞台下の、一番前の席で応援をしてくれていたのが、高木信君と彼のお母さんでした。
自分は最初の延長戦で、肋が折れた後に、再延長戦に突入する瞬間でしたが、【…ああ、誰か…知らない人が応援してくれている】
そんな気持ちになったのを思い出します。
試合後に高木さん親子が、東京体育館外で挨拶に来てくれました。
その時に初めて、信君と出会いました。
来夢君も毎年、あちこちの会場に応援に来てくれていました。
大阪は毎年、来てくれていましたが、秋の東京体育館での全日本大会では、小学生ながらも来夢君が、世田谷東支部の応援席で、応援団長をしながら、支部の選手達全員の応援を盛り上げてくれていました。(当時の彼は小学6年生)
来夢君と久しぶりに会い、色々な事を思い出しました。
来夢君も、信君も、趣味でも、たまにでも、また空手が出来たら、本当に嬉しいなと思います。
…選手として復帰するのなら…
一般選手権で、若手のホープとしての活躍も間違いない。
来夢君とは会えましたが、高木信君、颯真君や、リョウスケ君にも会いたいですし、本当に懐かしいです。 (まさに、その世代の4強でしたが、全員が南原選手と対戦していた)
現在の東大和で例えると、今の荒木拳三君や、雨宮伶空君世代の生徒達の様な存在です。
若い時期の絆であったり、熱く貴重な思い出は後々に、ずっと消えない宝物となります。